歴代優勝選手
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マヌエラ・マレーバ
MANUELA MALEEVA
記念すべき第1回大会である1984年のチャンピオン。翌1985年も制し、連続優勝を果たした。その可憐な容姿と表情から“哀愁のマレーバ”と呼ばれ、大会の華として日本のテニスファンに広く愛された。1986年、1987年と連続して決勝に 進出したが、グラフ、サバティーニに優勝を阻まれた。引退を表明していた1994年大会が、日本での最後の大会となった。準決勝でナブラチロワに敗れたが、試合後贈られた花束を手にし、「日本は大好きです。応援してくれた皆さんのことは忘れません」と涙ながらにスピーチし、会場のファンから熱い拍手が送られた。
エバート2世と称され、確実なグラウンドストロークを武器に、1984年〜1992年まで常に世界ランキングトップ10内をキープ。ゲームを組み立てる能力と判断力に優れ、堅実なテニスで大型プレーヤーらのパワーに対抗した。PROFILE
- 国籍
- スイス
- 生年月日
- 1967年2月14日
- 身長
- 173cm
- プレースタイル
- 右利き(バックハンドは両手打ち)
東レPPOテニスでの戦績
優勝:1984年/1985年
準優勝:1986年/1987年
ベスト4:1988年/1990年/1994年 -
パム・シュライバー
PAM SHRIVER
1988年大会で、世界ランキング4位の実力を発揮して初出場で初優勝。シングルス、ダブルスの2冠を達成する。試合中に見せるしぐさや観客とのちょっとしたやりとりに、いかにもアメリカ人らしいユーモアを感じさせ、日本のファンに存在をアピールした。
1978年に高校生プレーヤーでありながら、全米オープン準優勝の快挙を成し遂げ華々しくデビュー。1980年〜1988年まで常に世界ランキングのトップ10をキープ。
シングルスでのタイトル獲得数は21個、また、ダブルスでのタイトル獲得数は106個であり、歴代3位。さらに、ナブラチロワとのペアで109連勝の記録も達成している。PROFILE
- 国籍
- アメリカ
- 生年月日
- 1962年7月4日
- 身長
- 183cm
- プレースタイル
- 右利き
東レPPOテニスでの戦績
優勝:1988年
-
ガブリエラ・サバティーニ
GABRIELA SABATINI
1987年大会、17才で初出場、初優勝を果たした。
サバティーニはこのとき既に世界のトッププレーヤーであり、本大会での活躍で日本にも多くの“ガビー”ファンを作った。
1991年大会では、グラフ、ナブラチロワをフルセットの末に破り2度目の優勝を飾り、翌年の1992年も連続優勝。テニスファンを魅了した。
パワフルかつダイナミックなプレースタイルと、エキゾチックな美貌で、グラフと人気を二分した。14才でプロ転向、1985年に15才で全仏オープンベスト4入りを果たし、その年の「最も印象的な新人」賞を受賞。1986年から1995年まで、年度末のWTAランキングトップ10に10年連続ランクイン。
実力と人気を兼ね備えたプレーヤーとして、東レPPOファンからの人気も高い。PROFILE
- 国籍
- アルゼンチン
- 生年月日
- 1970年5月16日
- 身長
- 175cm
- プレースタイル
- 右利き
東レPPOテニスでの戦績
優勝:1987年/1991年/1992年
ベスト8:1989年 -
マルチナ・ナブラチロワ
MARTINA NAVRATILOVA
1989年大会、クリス・エバートととともに初出場。二人が国内公式戦に揃って登場するのは初めてであり、ナブラチロワは本大会で初優勝を果たした。
1993年大会でも優勝、その優勝スピーチで、急死したアーサー・アッシュ氏に対し「アーサー私たちはあなたの偉大な功績を決して忘れない」とコメント、観客にも黙祷を促し、テニス界のリーダーぶりを発揮した。
1994年大会は、シングルスからの引退を表明していたナブラチロワにとって、国内最後のシングルスとなった。決勝戦でグラフに敗れたが、引退を惜しむ声が相次いだ。
ウィンブルドンでの9回の優勝を含む、シングルス通算獲得タイトル数167は歴代1位。
さらに、通算勝利数1,439も歴代1位。また、合計331週に及ぶランキング1位の記録は、グラフに次いで歴代2位。ナブラチロワの凄さは、記録の上からも一目瞭然だが、28年間に及ぶプロ生活の大半を世界のトップとして君臨し続けてきた、ナブラチロワの存在こそが、女子テニス界の歴史そのものといえる。PROFILE
- 国籍
- アメリカ
- 生年月日
- 1956年10月18日
- 身長
- 173cm
- プレースタイル
- 左利き
東レPPOテニスでの戦績
優勝:1989年/1993年
準優勝:1991年/1992年/1994年 -
シュテフィ・グラフ
STEFFI GRAF
1986年大会、17才で初出場、初優勝を果たし、グラフ時代を予感させる活躍を見せた。
1990年、1994年と本大会で3回優勝し、大会の“顔”といえる存在であった。
2000年大会、前年に引退を表明していたグラフは、世界で行う引退試合の一つとして本大会を選び、伊達公子とのスペシャルマッチを行い、日本のテニスファンに最後のプレーを見せてくれた。
1982年、13才でプロツアーデビュー。1986年、16才でクリス・エバートを破り、プロ初優勝。
それ以来、毎年タイトルを獲得し続け、その数は107にも及ぶ。この中には、22回のグランドスラム大会シングルス優勝が含まれている。1987年の全仏で、初のグランドスラム大会優勝を遂げると、1996年までの10年間、欠かさずグランドスラムタイトルを獲得。
1988年には4大大会すべてに優勝して同一年グランドスラムを達成し、さらに、オリンピックでも金メダルを得て、“ゴールデン・スラマー”となった。通算No.1在位377週は、歴代1位。真摯にテニスに打ち込むグラフの姿勢は、多くのプレーヤーからの尊敬を集めた。PROFILE
- 国籍
- ドイツ
- 生年月日
- 1969年6月14日
- 身長
- 175cm
- プレースタイル
- 右利き
東レPPOテニスでの戦績
優勝:1986年/1990年/1994年
準優勝:1997年
ベスト4:1993年
ベスト8:1991年、1999年 -
伊達 公子
KIMIKO DATE
1995年大会で、日本の女子テニス界にとって新しい歴史が」刻まれることになった。
決勝戦は伊達とダベンポート。両者にとってティア・大会初の優勝をかけての対戦となった。
結果は、伊達が大会に初の日本人選手優勝を果たし、さらにこの年、日本人プレーヤーとして最高の世界ランキング4位に飛躍した。
俊敏なコートカバーとライジングショットで、パワーに勝るグラフやサバティーニらと堂々と打ち合うそのプレーは、世界の“DATE”として高い評価を得る。PROFILE
- 国籍
- 日本
- 生年月日
- 1970年9月28日
- 身長
- 163cm
- プレースタイル
- 右利き
東レPPOテニスでの戦績
優勝:1995年
ベスト4:1992年
ベスト16:1991年/1996年 -
イバ・マヨーリ
IVA MAJOLI
1996年大会はヒンギスが本大会に初出場した年であり、このヒンギスとともに次代の女王候補と目されていた、18才のマヨーリが初優勝を遂げる。
セレス、ヒンギス、サンチェスら強豪を次々に撃破。三度目の出場で初の栄冠となった。1993年の“最も印象的な新人”に選出されたマヨーリは、1995年、18才で早くもトップ10入りを果たす。1997年には最高ランキングを4位にまで上げたが、1998年〜1999年にかけて故障のため低迷。2000年に復帰してから徐々にランキングを戻してきた。
ベースラインからハードヒットするグラウンドストロークには定評がある。PROFILE
- 国籍
- クロアチア
- 生年月日
- 1977年8月12日
- 身長
- 175cm
- プレースタイル
- 右利き(バックハンドは両手打ち)
東レPPOテニスでの戦績
優勝:1996年
ベスト4:1995年/1998年 -
リンゼイ・ダベンポート
LINDSAY DAVENPORT
1998年大会、世界ランキング2位となったダベンポートは、世界No.1であり、先の全豪オープンを制したヒンギスと決勝を戦い、初優勝を手にした。この年の最終ランキングでNo.1となり、年初に行われる本大会が一年を占う大会として選手、関係者に認識された。
2004年大会は、決勝でM. マレーバとの戦いとなり、強打で勝るダベンポートがストレートで2003年大会に続き連覇、通算4度目となる優勝を果たした。
長身を生かしたパワフルなサービスと、柔らかなフォームから放つ強烈なグラウンドストロークを武器に、数々のタイトルを手にしたダベンポート。パワー・テクニック・経験と、どれをとっても超一級品の実力を持つ。PROFILE
- 国籍
- アメリカ
- 生年月日
- 1976年6月8日
- 身長
- 189cm
- プレースタイル
- 右利き(バックハンドは両手打ち)
東レPPOテニスでの戦績
優勝:1998年/2001年/2003年/2004年
準優勝:1995年
ベスト8:1996年/1997年 -
エレナ・デメンティエワ
ELENA DEMENTIEVA
過去3年間、世界ランキング・トップ10圏内をキープする安定したプレーをしている。しかし、グランドスラム大会では2004年に全仏オープン、全米オープンの決勝に進出するが、二度とも敗れ、優しすぎるのが弱点と言われてきた。
2006年大会の決勝戦は、3年ぶりの現役復帰を果たしたM.ヒンギスとの対戦となった。ヒンギスは4日(土)準決勝に、前年優勝のM.シャラポワとの世界初対決に勝利して決勝進出を決めた。デメンティエワの準決勝は、2004年全仏オープン決勝で敗れた同国(ロシア)のA.ミスキナにフルセットの末に勝利した。
デメンティエワが最高の出来をみせ、6-2、6-0とヒンギスに2ゲームしか与えずに初優勝を飾った。PROFILE
- 国籍
- 生年月日
- 1981年10月15日
- 身長
- 180cm
- プレースタイル
- 右利き(バックハンドは両手打ち)
東レPPOテニスでの戦績
優勝:2006年
ベスト8:2003年、2005年
ベスト16:2002年、2004年 -
マルチナ・ヒンギス
MARTINA HINGIS
1996年大会、15才で本大会初出場。直前の全豪オープンで史上最年少のベスト8となり大会前から話題をさらっていた。初登場のこの年はベスト4まで進み、巧みな試合運びは”天才少女”として広く紹介されることになった。
1997年、1999年、2000年、そして2001年と本大会最多となる4回の優勝を遂げ、グラフ時代からヒンギス時代、と呼ばれるようになった。
パワーテニス全盛の中で、あらゆるショットを高いレベルでこなす卓越したテクニックと、相手の動きやコースを、瞬時に“読む”抜群のテニスセンスで、観るものを楽しませてくれるヒンギス。16才6ヶ月という史上最年少でNo1にランクされ、通算No.1在位は209週と歴代4位。絶妙のボールコントロールと巧みな試合運びに、魅せられた日本のファンも多い。PROFILE
- 国籍
- スイス
- 生年月日
- 1980年9月30日
- 身長
- 170cm
- プレースタイル
- 右利き(バックハンドは両手打ち)
東レPPOテニスでの戦績
優勝:1997年/1999年/2000年/2002年/2007年
準優勝:1998年/2001年/2006年
ベスト4:1996年 -
ディナラ・サフィーナ
DINARA SAFINA
「グランドスラム無冠の女王」と聞いてこの名を思い出す人は多いだろう。全仏オープンで2度、全豪オープンでも1度決勝に進出し、2009年に計26週ナンバーワンに君臨。北京五輪の銀メダル獲得、ダブルスでの全米オープン制覇という実績もあるが、悲願のメジャータイトルには届かないまま、背中のケガで事実上2011年に25歳の若さで引退した。しかしツアーでは12個のシングルス・タイトルを獲得。うち一つが2008年の東レPPOテニスで、決勝ではスベトラーナ・クズネツォワとの同国対決に快勝した。 兄は元世界1位のマラト・サフィン。兄妹、あるいは姉弟でともにランキング1位を獲得したのは史上初の快挙だった。
PROFILE
- 国籍
- 生年月日
- 1986年4月27日
- 身長
- 182cm
- プレースタイル
- 右利き
東レPPOテニスでの戦績
優勝:2008年
-
マリア・シャラポワ
MARIA SHARAPOVA
2004年のウインブルドンで、ダベンポート、セレナ・ウィリアムズの強豪を破りグランドスラム大会を初制覇し、瞬く間に世界のトップへと上り詰めた。また、年間ランキング上位8名で争われるWTA選手権も制し、シャラポワ時代の到来を感じさせた。人気と実力を兼ね備えたニューヒロイン“ロシアの妖精”として、全世界の注目を集めている。
2005年大会の決勝戦は、ディフェンディングチャンピオンで大会3連覇を目指すダベンポートとの戦いとなった。フルセットにもつれ込む熱戦の末、第3セットをタイブレークで制したシャラポワが大会初優勝を遂げた。PROFILE
- 国籍
- 生年月日
- 1987年4月19日
- 身長
- 188cm
- プレースタイル
- 右利き(バックハンドは両手打ち)
東レPPOテニスでの戦績
優勝:2005年
2回戦:2004年 -
ナディア・ペトロワ
NADIA PETROVA
父はハンマー投げ、母は短距離でリレーの五輪メダリストという強力なアスリートの遺伝子を継承。パワフルなサービスを武器としたアグレッシブなプレースタイル。全仏オープンで2度ベスト4入りした。ダブルスでも2度のWTAファイナルズ制覇やロンドン五輪の銅メダル獲得など高い実績を誇る。
東レPPOテニスでも2008年にまずダブルスを制し、4年後の2012年に前年チャンピオンのラドバンスカを破って優勝。東レの単複両方のタイトルを獲った選手は他に4人しかいない。自己最高ランクは単複いずれも3位。PROFILE
- 国籍
- 生年月日
- 1982年6月8日
- 身長
- 178㎝
- プレースタイル
- 右利き
東レPPOテニスでの戦績
優勝:2012年
ベスト4:2008年 -
ペトラ・クビトバ
PETRA KVITOVA
フラットでパワフルなショットは速いコートに特に有効で、ウィンブルドンで2回の優勝を誇る。「未来の女王」と期待されたが、自己最高ランクは2位。2016年末に自宅で強盗にナイフで襲われ、利き腕の左手の腱を損傷する大怪我を負いながらも復活し、2019年の全豪オープンでは決勝に進出した。ハードなトレーニングによりシェイプアップした体でキレが増し、大坂に敗れたものの新生・クビトバをアピールした。
優勝した2013年の東レPPOテニスでは、クズネツォワとの準々決勝、V・ウィリアムズとの準決勝と、グランドスラム女王対決を次々制し、決勝ではのちの女王ケルバーをフルセットで破った。PROFILE
- 国籍
- チェコ
- 生年月日
- 1990年3月8日
- 身長
- 182㎝
- プレースタイル
- 左利き
東レPPOテニスでの戦績
優勝:2013年
ベスト4:2011年
2回戦:2016年/2012年
1回戦:2010年 -
アナ・イバノビッチ
ANA IVANOVIC
正確な強打を武器に、2007年の全仏オープン、翌2008年の全豪オープンで準優勝し、同年のローランギャロスで20歳の女王に輝く。世界ランクも1位となり、ジョコビッチやヤンコビッチとともにセルビアをテニス大国に押し上げた。全仏優勝のあと7年間はグランドスラムで一度も準々決勝を突破できなかったが、2015年の全仏でベスト4入。翌年引退した。2014年の東レPPOテニスは最後に獲得したツアータイトルとなる。
サッカー元ドイツ代表のシュバインシュタイガーと結婚し、2人の息子をもうけた。現在はプレーヤ時代のスキンケア対策で得た知識や、生まれ持っての美貌を武器にコスメ業界でも活躍している。PROFILE
- 国籍
- セルビア
- 生年月日
- 1987年11月6日
- 身長
- 184㎝
- プレースタイル
- 右利き
東レPPOテニスでの戦績
優勝:2014年
準優勝:2007年
ベスト8:2015年 -
アグネツカ・ラドバンスカ
AGNIESZKA RADWANSKA
2022年4月からナンバーワンの座を守るのはポーランドのシフィオンテクだが、同国の女子で史上初めてトップ10入りを果たしたのはこのラドバンスカ。自己最高ランクはその後、2012年のウィンブルドンで準優勝した翌週に2位まで上がり、2015年のWTAファイナルズでキャリア最大のタイトル手にした。東レPPOテニスでは2度優勝し、決勝でベンチッチを破った2015年大会は失セット0の完全優勝だった。
パワー主流の中で技巧派・頭脳派と称されるテニスは、クラシカルな女子テニスを好むファンから特に愛されたが、2018年のシーズンを最後に引退。2017年に結婚し、2020年に第一子が出まれている。PROFILE
- 国籍
- ポーランド
- 生年月日
- 1989年3月6日
- 身長
- 173㎝
- プレースタイル
- 右利き
東レPPOテニスでの戦績
優勝:2011年/2015年
準優勝:2012年
ベスト4:2009年 -
カロライン・ウォズニアッキ
CAROLINE WOZNIACKI
”北欧の壁”とも称された高い守備力、安定感抜群のストロークで世界1位に通算で71週在位。初1位は東レPPOテニスで初優勝した2週後、20歳のときだった。全米オープンでは2度決勝で敗れたが、2018年の全豪オープンでグランドスラム初制覇、ついに「無冠の女王」を返上した。東レPPOテニスでの優勝は合計3度にのぼり、その回数はヒンギスの5回、ダベンポートの4回に続く歴代3位タイとなる。
2014年にはニューヨークマラソンに挑戦し、3時間26分の記録を叩き出して話題に。2020年に引退。元NBAプレーヤーのデビッド・リーと結婚し、一男一女の母となったが、3年のブランクを経て2023年に現役復帰を発表。8月のツアーから参戦予定だ。PROFILE
- 国籍
- デンマーク
- 生年月日
- 1990年7月11日
- 身長
- 177㎝
- プレースタイル
- 右利き
東レPPOテニスでの戦績
優勝:2010年/2016年/2017年
準優勝:2014年
ベスト4:2015年/2013年/2012年 -
カロリーナ・プリスコバ
KAROLINA PLISKOVA
186cmの長身から繰り出されるビッグサーブとフラットなショットを強力な武器とし、2016年の全米オープンで大ブレーク。すでにトップ10は間近だったが、グランドスラムでは3回戦を突破したことのなかった24歳が女王セレナ・ウィリアムズを破って決勝に進出した。同年のフェドカップ(現BJKカップ)でも単複の活躍でチェコの優勝に貢献。2017年にはランキング1位を獲得し、2018年の東レPPOテニスで大坂を破って初優勝した。かつて大坂のコーチだったサーシャ・バイン氏をコーチにつけた2021年には、ウィンブルドンでグランドスラム2度目の決勝進出を果たしたが、バーティとの接戦に敗れてメジャータイトルはおあずけに。
PROFILE
- 国籍
- チェコ
- 生年月日
- 1992年3月21日
- 身長
- 186㎝
- プレースタイル
- 右利き
東レPPOテニスでの戦績
優勝:2018年
ベスト8:2017年/2015年
2回戦:2022年/2016年
1回戦:2011年 -
大坂なおみ
NAOMI OSAKA
ハイチ出身の父と日本人の母の間に大阪で生まれ、3歳のときに家族とともに渡米。16歳の夏、スタンフォードで全米オープン覇者でもあるストーサーを破って注目を集め、20歳だった2018年の全米オープンを初制覇すると一気にスターダムへ。ウィナーを量産するパワーテニスが魅力で、翌年の全豪オープンも制してWTAランキングのみならず女子アスリートの世界長者番付でもトップに君臨。全米と全豪の連続優勝は2020-21年にも達成している。
東レPPOテニスが大阪で開催された2019年、決勝でパブリュチェンコワを破って“凱旋優勝”を果たした。2023年7月に長女を出産し、2024年全豪オープンでの復帰を目指す。PROFILE
- 国籍
- 日本
- 生年月日
- 1997年10月16日
- 身長
- 180㎝
- プレースタイル
- 右利き
東レPPOテニスでの戦績
優勝:2019年
準優勝:2018年/2016年
2回戦:2022年
1回戦:2017年/2015年 -
リュドミラ・サムソノワ
SAMSONOVA LIUDMILA
昨年の夏以降のハードコート・シーズンで大躍進し、ワシントンとクリーブランドで2大会連続優勝を果たすと、初出場の東レPPOテニスでルバキナ、ムグルッサなどグランドスラム優勝者も破って頂点に立った。サーブのバリエーションが豊富で安定感も抜群。躍進の前兆は前年のBJKカップ・ファイナルズにあり、チーム最年少の22歳だったサムソノワは準決勝と決勝で単複3勝の活躍でロシア14年ぶりの優勝の立役者となった。グランドスラムではベスト16が最高成績だが、今年2月にランキングは自己最高を更新して12位に。
PROFILE
- 国籍
- 生年月日
- 1998年11月11日
- 身長
- 182㎝
- プレースタイル
- 右利き
東レPPOテニスでの戦績
優勝:2022年